「グラディエーター」


これはわたしには、リドリー・スコットという監督に対して 密かに感じていた不信感がはっきり露呈してきた作品になりました。 彼は映画の中身をほとんど書くことができない人である、と。 たとえば、「脚本が書けない」と言う意味では キューブリックはそう公言していましたが、 キューブリックは映像としては饒舌とも言うほど「中身を書く人」でした。 他方、リドリー・スコットはしっかりした中身ある原作の映画化でも、 「中身と切りはなされた映像しか描けない人」のようです。 ●なにが言いたいのかががぼかされていて主題がはっきりしない。  だから何度も飽きがくる。飽きて休憩したくなる。家で見る方が楽。 具体的には、この映画の主題は「本当の自由」*になるはず*なのです。 そのため、登場人物の口を借りて「ローマ政治は群衆を味方にしたも のが勝ち」というようなアメリカ的大衆迎合主義(いわゆるポピュリズ ムというやつですね)を真っ向から否定して見せ、「真の自由とは」と いう崇高なテーマが奴隷の身分に堕ちたマキシマス(ラッセル・クロウ) の活躍を通して描かれます。 けど、「じゃあ、なにが真の自由なのか」についてはいっさい描かれ ていません。むしろそれを描くことを執拗に避けるかっこうでマキシ マスを褒め称えるオチが来ます。おいおい、そこをきちんと描かなきゃ あ話が決着したことにはならんでしょうに!?描けてないということ は「どこを探しても真の自由が見つからなかった」と言っているに等 しいんですけど??? ●主人公の設定もぶれており、いわば「デッサンが狂っている」。 この映画のあるべき主人公は、ローマ帝国の将軍かつ奴隷の剣闘士で あるマキシマスではなさそうです。というか、実はマルクス・アウレ リウスの娘であるルッシラ(コニー・ニールセン)のまなざしこそがこ の映画のストーリーを統一させうる唯一の視点なのですが、なぜか彼 女が主人公としては描かれません。そのため、キャラクター設定が見 事にぶれてしまっています。 わたしとしては、これは要するに、リドリー・スコットはこれをひと つの映画作品としてまとめきれなかったと言うことだと思う。 つまり観客としてはかなり不完全な作品を見せられることになる。 不完全な作品なのだから、高いお金を払って観るに値しない。 ●撮影技術的には高度なものがあることは確かだけど、その高度な映像 表現が映画の内容から完全に浮きあがってしまっていて、そのため、 別に映画館の高音質や大きめの画面で観る必然性が感じられない。 具体的には、たとえば冒頭の戦闘シーン。。。 兵法の基本を踏襲した演出によるリアルな一大歴史絵巻が繰り広げら れるんですが、はじめは大剣の鋭い動きを表現するために早回し撮影 (ゴルフ場でクラブスイングがよくわかるように通常よりも一秒に撮影 するコマ数を多くして撮影するのと同じ撮影方法)で撮られていたのに、 ある瞬間から、逆にコマ落ち撮影(早回しとは逆に、一秒に撮影するコ マ数を通常より少なく設定して撮影する方法)になって、動きの鋭さよ りも動くものが残す残像を表現するように切り替えられていました。 しかも、こうしたイレギュラーな撮影の組み合わせであるにもかかわ らず、露出はほとんどブレていないというすごさ。CGを使って修正か けたのかもしれないにしても、一種神業的な撮影技術が駆使されてま した。ですが「だからなに?」「So What?」を連発してしまうほど言 いたいこと=マキシマスが何世紀にひとりというぐらい希有な才能を 持つ武将であることがまったく伝わってこない。むしろのちにコロッ セウムで絶体絶命の剣闘士たちを指揮して戦車部隊をやっつけたシー ンの方が冒頭シーンで言いたかったことがはっきり表現されていた。 けど、その時点では話の焦点は別のところに移っているんだからもは や遅すぎるんですよね。 というように、映像表現と映画の主題そのものの表現とがほとんどの 場面でぜんぜん一致していません。これならimaxとかで吐きそうにな るジェットコースター3D映像を見せられているのとあまり変わらない。 ●例によって異常なまでの「書き込み」はなされていて、それを確かめ ていくために繰り替えしみるにはビデオまたはDVDの方が適切。 直上で書いたこととも重なるんですけど、映像的には神業的にすごい ものが数々あったと思います。しかも、リドリー・スコットのこと、 書き込みの執拗さも例のごとくです。 ということは、この映画は劇場で観るよりもビデオやDVDで観た方が何 回も観ることが出来、しかも必要とあればポーズをかけてじっくりひ とつひとつのシーンを観ることもできるので鑑賞の仕方としては理に 適っているといえましょう。 ところで、日経eiga.comの2001/7/11の記事によると、 何を勘違いしたのかリドリー・スコットは、 「『ブレードランナー』のデッカード(ハリソン・フォード) は レブリカントである」とBBCのインタービューで明言したそうです。 わたしにはこれは「中身と切りはなされた映像しか描けない人」が 言って良いことには思えません。少なくとも、 P.K.Dickファンに対する許せない暴言であることは確かですね。 _/_/ Kiwi _/_/ - Osaka,Japan- _/_/ Kiwi@ten.gr.jp _/_/


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